気づいたら鼻歌歌ってる女

自分語りや家族の話

ロストケア

U-NEXTで「ロストケア」という映画を観た。2023年公開の邦画で、主演は松山ケンイチ長澤まさみ。同名の小説が原作になっている。

精神異常者が起こした連続事件をめぐるサスペンスかと思って観ていたら、なんとも考えさせられる映画だった。

 

以下ネタバレを含む映画の感想。

 

 

 

ある家で、高齢男性と男性が利用していた介護センターのセンター長の遺体が発見される。防犯カメラの映像から容疑者となったのは、センターに勤務する介護士の斯波(松山ケンイチ)。しかし彼は利用者宅に強盗に入っていたセンター長と揉み合いになり階段から落ちたセンター長が死亡した。と主張する。

一方、捜査を進める大友検事(長澤まさみ)はその介護センターの利用者の死亡率が異常に高いことを突き止める。取調べで斯波は容疑を認めるが、自分は彼らを「救った」と主張する。

 

これだけ読むと、斯波はイカれた連続殺人鬼に思える。実際、自分が毎日お世話している相手を殺害できる感覚は理解不能だし、抵抗できない高齢者を41人も殺害している時点で凶悪犯と言える。大友検事は、取調べで自分の犯行を「救い」として正当化する斯波を何度も責め立てる。

物語が進むにつれ、斯波の背景を私たちは知っていく。彼が最初に殺害していたのは、彼の父(柄本明)だった。斯波は介護士になる前、脳梗塞の後遺症と認知症の進行する父親を一人で介護していた。会社を辞め、バイトをしながらなんとか支えていた。しかし症状が進むにつれ、二人は生活に困窮する。生活保護は申請が通らず、介護疲れと貧しさに斯波は父親に手を挙げてしまうようになる。そしてある日、父親は彼に殺してくれと頼むのだ。自分であるうちに死にたいと。

この斯波の背景を知るシーンが、本当に重たくずっしりとくる。松山ケンイチ柄本明の演技があまりにリアルで、見入ってしまう。

 

そして彼は、あの時自分が他人にやって欲しかったことを、やったのだ。と主張する。

悟ったように整然と自分のことを語る斯波がなんとも悲しい。

劇中で何度も彼は「穴」と「安全地帯」という言葉を使う。「この社会には穴があって、その穴に一度落ちたらなかなか出られない。」「あなたは安全地帯にいるからそんなふうに言えるんだ。」と大友検事に言う。

いつの間にか私は斯波の味方になっていた。

 

介護される側は、父親のように自分を失う前に人は死にたいはず。介護する家族は、自分のように家族に手をあげる前に、介護を必要とする家族を憎む前に自由になりたいはず。と斯波は自分の犯行を正当化していたのだろう。そして自分が父親を殺したことを間違ってはいなかったと思いたかったのだろう。

 

斯波が殺害した被害者の遺族にも確かに救われている人もいた。出口の見えない介護生活が終わりを告げて、自分の人生を取り戻した人もいた。当然、父親を勝手に奪った人殺しと斯波を責める遺族もいた。それは正しい。斯波に人を殺す権利はない。どんな理由があったとしても。

でも私が遺族の立場だったらどう思うだろう。救われたと思った遺族を誰が責められるだろう。介護生活の苦しみは、きっと当人でなければわからない。

 

斯波はどんな思いで自分の父親を殺したのだろう。本当にこれは父親のためなのか、自分のために殺すんじゃないだろうかときっと何度も自問しただろう。

 

嘱託殺人は最近ニュースでもよく目にする。どうしたらそれを回避できたのか。出口の見えない介護生活と自分が自分でなくなっていく人生への絶望に、救いとして提示できるものはあるのか。考えても考えても私には答えが出せない。